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2016年02月05日
社長のつぶやき ~俺の親父~
子に教えることはなかったが、例え話は多かった
なるほど、そうかそうか が身についた
生まれ故郷の三谷町は県内有数の海水浴場だった
子供の頃そうだったと覚えている
一口で言うと、町内が海水浴客のシャツの色で白色に見えるほどだった
そのくらい、夏休みはすごかった
今日、私があまり知らなかった話
親父曰く
三谷港は漁港で県内3本の指に数えられると話してくれた
昭和の初めは入港する船が多くて岸につけない船がいるという事で
港を造り変えたそうだ
そのおかげで、やっと魚が思うように荷上げできるようになったと
競り落とされた魚をいち早く客先に送り付けるのにてんやわんやだったようだ
三谷港から大八車につまれた氷詰された魚箱が走る
港から駅までは人、人、人だったと申す
豊橋、岡崎は手の内
遠くは浜松まで客車便でおくっていたようだ
荷上げされてから、10時ごろまでには岡崎の魚屋にならぶ
それがなければ、三河三谷という駅はできなかっただろう
と俺の親父
なるほど、そうかそうか が身についた
生まれ故郷の三谷町は県内有数の海水浴場だった
子供の頃そうだったと覚えている
一口で言うと、町内が海水浴客のシャツの色で白色に見えるほどだった
そのくらい、夏休みはすごかった
今日、私があまり知らなかった話
親父曰く
三谷港は漁港で県内3本の指に数えられると話してくれた
昭和の初めは入港する船が多くて岸につけない船がいるという事で
港を造り変えたそうだ
そのおかげで、やっと魚が思うように荷上げできるようになったと
競り落とされた魚をいち早く客先に送り付けるのにてんやわんやだったようだ
三谷港から大八車につまれた氷詰された魚箱が走る
港から駅までは人、人、人だったと申す
豊橋、岡崎は手の内
遠くは浜松まで客車便でおくっていたようだ
荷上げされてから、10時ごろまでには岡崎の魚屋にならぶ
それがなければ、三河三谷という駅はできなかっただろう
と俺の親父
Posted by ハツミ at 12:56│Comments(0)
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